①「不登校」はどうして増えているのか?【子育てはなぞとき】講演相談会抜粋

 

※この記事は2018年に開催された「園や学校生活に不安を感じたとき、親の心がまえと対応」講演&相談会の内容を抜粋し編集したものです。

※英語・中国語版あり

 

「不登校」の定義を知っていますか?

現在、小中学校の義務教育過程で1年間に30日、とびとびでもトータル30日休むことが「不登校」とされています。ひと月で平均して2、3日休むと不登校を疑われるという状況です。

 

「不登校」の歴史

文部省が登校拒否、不登校の子どもの統計を取り始めたのは1966年からです。それ以前は子どもが学校を休むのは当たり前で、問題にしていませんでした。

しかし、産業が発展していく中で、国はマニュアルに合わせて労働できる均質な労働力が欲しくなり、学校にそれを求めてきました。均質な労働力、そして知識も行動も均質になるべく育てて欲しいということになってきたのです。

それまでは子どもたちは、農業や漁業、炭鉱といった労働現場で使い勝手のいい労働力でしたから。だから学校を休むのは当たり前でした。

初期の頃は、それでも1年間に50日休んだことを問題にしていました。この時期は「親の育て方が悪い」「その子どもは学校に来にくい性格傾向がある」と専門家が平気で言っていた時代です。だから子どもが学校を休むのはすべて家庭の問題ということにされてしまいました。

1980年代後半から、行かない子どもたちがどんどん増えていきました。そうなるともう親の育て方では説明ができません。

ここで何が変わったのかというと、学校教育が厳しくなってきたのです。

子どもの数は減ってきて、教育の内容が厳しくなってきています。成績を上げるための指導も厳しいが、生徒指導も厳しくなってきているということがあり、そういうことに対して子どもたちが恐怖感を感じたり疲れてしまったりするということが、80年代後半から始まりました。

90年に入ったところで、文部省は専門家に答申を求めたところ、子どもが学校を休むのは学校困難にある、だからどの子でも登校拒否や不登校は起こりうることで、むしろ学校問題だということになった。

指導が厳しかったり競争が激しかったりするから、当然いじめが出ます。それから学校の勉強についていくために、あるいは進学するために塾だのなんだのと、子どもが大人の労働よりも長時間勉強をする時代になるといった、いろんなことがあって行かない子が増え続けました。

 

学校はどう対応したか

子どもの総数は減り続けています。一方、文部省が対策をすればするほど、行かない子どもの総数は増え続けるということが起こってしまいました。

なぜかというと、子どもの立場ではなく、学校教育をする立場で対策をしたからです。

子どもが休むというのは学校の指導力にかかわるので、なんとかして子どもを学校に戻したい。子どもはいじめや先生の不適切な指導、部活での厳しい先輩後輩の関係の中で傷ついています。そして、今の時代はお父さんお母さんが仕事の転勤で、転校が増えています。学校が変わるというのはいじめのターゲットになりやすいのです。

不登校は学校問題であると言われ、数が増えるとその学校の教育が問われるから、結果としてとにかく休む子どもの数を減らそうというのが不登校対策になってしまいました。

なぜ来なくなったか、その原因を解決して他の子も学校に行きやすくなる、そして、今休んでいる子も戻りやすくする、というのが王道です。休んだ子を1日でも早く学校に戻すため、家庭訪問をする、手紙を書く、お友達を迎えに寄こすといった対策をしてしまったのです。

学校で傷ついて、これ以上学校に居場所がない。居場所がないところで暮らすというのは本当に心が傷ついて自信をなくすことです。一度家庭に身を引いて、そこで体制を整え、さてどうしようという状況の子どもを、1日も休ませずに学校に戻すための対策をずっとやってきたのです。

傷ついて無理な状況の子どもたちをなんとか学校に戻そうとするので、「学校に行きたいない」と言葉で訴えても受け止めてもらえない、休ませてもらえない状況が作られてしましました。

そうして登校拒否、不登校の子どもたちは増え続けているのです。

 

つづく

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カウンセラー:

内田良子

73年より東京都内数ヶ所の保健所にて相談活動を続け、98年から「子ども相談室・モモの部屋」を主宰し、不登校、非行、ひきこもりなどのグループ相談会を開いている。立教大学非常勤講師、NHKラジオの電話相談「子どもの心相談」アドバイザーも経験。全国各地の育児サークル、登校拒否を考える親の会、幼稚園などでも講演多数。著書『カウンセラー良子さんの子育てはなぞとき』、『幼い子のくらしとこころQ&A』『登園渋り登校しぶり』