のびのびのはずなのに、激変する中国の子育て~子どもたちと中国田舎の旅(2)

代表者ブログ
July 4, 2019

ここの田舎は、私が子どもの頃にもよく訪れていました。

30年前の田舎は、都会との違いが歴然とあって、生活の中にあるもの、暮らし方、食べ物、何もかも違っていました。私が都会から持ってきたものは田舎の子どもたちの目をキラキラにさせ、田舎の子どもたちの遊びもすごい!と内心で驚いたのでした。

私は子どもの頃は武術の習いごとをしていたので、学校の体育の授業はめっちゃくちゃ楽勝で、授業では常にお手本でした。しかし、今でも覚えていますが、初めて田舎に来た時に、隣に住んいた女の子が、いきなり手を付けないで側転、空中バク転を普通にやっていて、本当にびっくりしました。(もちろん、田舎には習い事がありません)。実は、そういう手を付けない大技は、教室でも怖くなかなかできなかったのでした。

あの頃、それぞれのお庭にはドーム型に積まれているわらの山があって、それを燃やして毎日ご飯を作っていました。田舎のことたちと一緒に、ふわふわするわらの山を登ったり、中に潜り込んで本格的なかくれんぼしたり、ヤギの鳴き声の真似して、誰が本物のヤギを呼び寄せるを競争したりして、とても楽しい思い出がたくさんありました。

 

同じ頃に遊んでいた子たちも今は子育てする親になりました。

「これであそびな!」到着した早々、近所のおじさんが4羽毛がふわふわしたひよこを娘たちにプレゼントしてくれました。

娘たちは本物のひよこをみて大喜びでした。日本でよく行く動物ふれあい広場などでも生まれたてのひよこに出会ったことがありませんでした。

今回、普段は村を離れ、近くの町に住む子たちも田舎に戻り、日本から来た娘たちに会いに来てくれました。子どもたちはみんな同じような年ごろで、言葉が通じないものの、子ども同士ですぐに遊びが成立してました。

しかし、一緒にひよこを見ていた田舎の子たちは、3人ともひよこがこわいといって、1人がかろうじて二本指でひよこの羽をつまむだけでした。一方で、娘たちは片手で段ボールの中で逃げ回るひよこを捕まえ、ひざにのせたり、腕にのせたりしてかわいがってました。

このなんでもない風景に、私は衝撃を受けていました。ヤギでも牛でも自由に操るすごい田舎の子の記憶が崩壊したからです。

それだけじゃなかった。よく聞いたら、この子たちは普段町に住んでいたので、身近に動物がいないし、田舎に帰ってきても親たちは汚れることを極端に嫌がっているそうです。ミミズもさわれない、泥のある所にはいかない。

思えば、今回村で見かけた女の子たちはフリフリのワンピースを着て、バレエのような白いタイツをはいてる子が多かったです。「都会っこ」ふうにすることが徹底されていました。

東京では普段わざわざ子どもたちに泥んこ遊びをさせ、プレイパークやら、自然保育やら苦労して探して自然な遊び場を探しているのに、これだけ豊富な「自然の遊び場」があるのに、嫌がってなにもしない子たちを目の前にして、もったいないを越えて、残念という気持ちになってしまいました。

庭の中に、じーじーがぶどう棚の下に、角材一本を使ってブランコを作ってくれました。もともとブランコ好きな娘たちはまたまた大はしゃぎしました。座って揺らしたり、立って漕いだり、二人乗りしてみたり、いくらやっても飽きない遊具ができました。

しかし、遊びに来てくれた田舎の子たちは、ブランコがこわい!と少し試しただけでもうやめてしまいました。「え~、どうなってるんだよ、この子たち」と本当に心配になってしまいました。

さらに、このブランコを見て、近所のおばちゃんは「何で棒一本なんだ?座りにくいじゃないか!」と指摘してきました。「東京で行ってる遊び場のブランコの棒はまるいですよ」と説明したら、「なんで?!」ととても不思議そうな顔してびっくりしてました。

「自然遊びの中で子どもが自ら学べる」、「からだの感覚も心も育つ」、「自由でのびのびがいいんだ」などの考えは、過去ではだれにも説明されなくても自然とそうなっていました。しかし今は、どう説明しても伝わるものではなさそうということはすぐに悟りました。今の田舎の人々の目には、私と全く違った風景が見えていることを感じていたからです。

子どもが生まれてから気づいたけど、大都会の北京や上海ですら子供向けの遊び場が少ない。日本の住宅地にあるような小さな公園はまず存在しません。

よくあるのは、室内の大型ジャングルジムの遊び場です。空調が完備していて、子どもが暑くなく、寒くなく過ごせるのです、もちろんスマフォをずっといじる大人も快適です。

今回上海で乗り換えまでのあいだに時間つぶしに浦東空港の近くにある大型の室内遊び場にも行きました。

500平方メートルぐらい、ビルのワンフロア分の広さです。入場料は子ども1人90元(1,500円程度)、大人無料、時間無制限、再入場も可能です。この遊び場には、大型ジャングルジム、水道船、ボールプール、砂場、絵本コーナー、ミニ電車(ハンドルを回すとちゃんと走る)など全部入っています。

我々が行ったときは、遊んでる子供は4,5人程度で、飽き飽きしているのか、キャーキャー笑いながら遊ぶのは娘たちだけでした。子どもたちはとてもおとなしかった?元気がない?のが印象的でした。

その時、遊び場にままごとのキッチンがあって、娘たちが興味津々に入って、「さーお料理するよー」と遊ぼうとしたら、なんと!キッチンに置かれてる調理道具はどれも取れない。ここのおもちゃは、全部固定されていた! がっかりした娘たちの表情に「だまされた!」と書いてました。

本気でジョークみたいだったけど、中国ではありありの「見栄え重視」の傑作だなとママは苦笑いしかないです。

脱線してしまいましたが、都会の子はともかく、「都会っこ」っぽく育てられた田舎の子でも遊び場を失ってしまいました。

いいえ、自ら遊びを捨てたのです。のびのびと育てられるはずの田舎のはずなのに、すっかり変わってしまいました。

30年前から、田舎で育った人たちが都会に憧れ、先進的で、きれいで、華やかな生活にあこがれてきました。だから自分の子どもたちを、都会にふさわしくなるように、きれいな服を着て、清潔好きで、ハイテク好きに育てたいという気持ちがとてもとても強く感じました。

憧れを持つこと自体はステキなことですし、だれも否定はできません。しかし、この30年間、社会全体上げて経済成長最優先の政策の下で、貧しいことが「絶対悪」になり、「すべて銭を見て」(「すべて前を見て(前向きにという意味)」ということわざがありますが、中国語では、「前」と「銭」は発音が同じのため、拝金主義を揶揄する言い方で、「前」を「銭」に置き換えた言葉)の価値観が本当に人々の心の奥まで影を落としていました。

豊かになるとは何か、東京という発展しきった社会から見れば、今はもうここにしかない残っていないというような大切なものまで、中国では経済発展、都市化の進行にどんどん飲み込まれてしまいました。

人々は自分の生活環境を否定し、これまでの生活様式まで否定的に感じ、常に見せられた幻の「発展」の夢を信じて追いかけ続けているように感じました。経済発展、効率化信仰の怖さは、自分の生き方としてのプライドまで傷つけられ、本来持っていた様々な大切なものが見えなくなってしまい、どんどん視野狭窄になってしまうことではないでしょうか。

数年後、田舎の子供たちは、今日会ったこの東京から来た子たちのことをどのように思い出すのだろう、のびのびとする田舎の良さはあとどのぐらい残るだろう、そんなことを思いながら、旅をつづけました。